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指定日:平成18年3月30日・所在地:西都市大字岩爪字園田
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| 黒貫寺は、日陽山聖歓喜院(せいかんきいん)といい、真言宗智山(ちざん)派の古刹(こさつ)である。天慶9(946)年僧隆元(りゅうげん)が創建したと伝えられ、真言密教の道場として今日に至っている。 中世伊東氏時代に最も繁栄したが、伊東氏没落後は佐土原藩の支配下に入った。その後、明治7年2月に火災に見舞われ、山門を残して焼失した。このため、明治9年に佐土原にある末寺・久(ひさ)峰(みね)寺の大悲殿(だいひでん)(観音堂)を移築し、伽藍(がらん)を再興した。これが現存する大悲殿(観音堂)である。 この大悲殿内の厨子(ずし)(仏像・経典等を安置する仏具)に、大日如来(だいにちにょらい)坐像・聖観音(しょうかんのん)坐像・薬師如来(やくしにょらい)立像の3躰の仏像が安置されている。 大日如来坐像は像高89.2センチメートル、聖観音坐像は像高88.6センチメートル、いずれも樟(くす)材の一木造りで、面相が上下から押しつぶされたように目・鼻・唇が近づいている独特の表情を見せ、作像時期は2躰とも平安時代後期と推定される。 薬師如来立像は像高44.9センチメートルの小振りの像で、材質は不詳、作像時期は室町時代と推定される。 厨子は、高さ1.47メートル・幅1.71メートル・奥行き0.72メートル、変形した楕円形で珍しく、特徴的である。外部は黒漆(くろうるし)、内部は朱漆(あかうるし)で塗られている。 特に注目されるのは、厨子内背板内面に黒漆で厨子の再興銘文(めいぶん)が記されていることであり、これによると、厨子の建立年代は永禄12(1569)年と推定され、この時期は伊東氏の全盛期にあたる。このように建立年代が明確なことは極めて重要な建築学的価値を有している。 |
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